アトス山
アトス山修道院が最大の危機を迎えるのは20世紀になってからである。1923年、希土戦争の終結によってローザンヌ条約が締結され、トルコ、ギリシャ間で住民交換が行われた。ギリシャ政府は移住した住民の居住地を確保するため、アトス山の土地を大幅に没収した。さらに、1944年に枢軸国であったブルガリア王国がソビエト連邦の侵攻を受けた際、アトス山修道院は共産主義からの弾圧を受け、ほぼ壊滅状態に陥った。現在は、ヨーロッパ各地からの支援によって宗教的な重要性を保ちつつ存続しているが、EUから女性の入国を禁止していることについて非難を受けている。
アトス山の行政上の主席は、修道院のなかでも最も大きな5つの修道院、ラヴラ、ヴァトペディ、イヴィロン、ヒランダルから交代で選出される。 アトス山の修道院建築群については、まだ詳しい調査が行われておらず、その変遷はあまり明確ではないが、おそらくカリエスにあるプロタトンが最も古い建築物で、中期ビザンティンの典型的な平面である内接十字型教会堂である。10世紀から11世紀にはこの聖堂で長老会議が行われ、第一人者(プロトス)が選出された。この教会堂以外の主聖堂は、ほとんど三葉型を原型とするもので、メギスティ・ラヴラ修道院の中央聖堂を規範としている。961年よりも少し後の時代に建設されたメギスティ・ラヴラの中央聖堂は、中央にドームを頂き、3方に半円形の張り出しを持つが、至聖所のアプスに関してはリティと呼ばれる奥行きの深いものになっており、何らかの儀式のために形成された。アトス山の宗教的権威によって、この形式の教会堂は東ローマ帝国が滅びた後も、正教圏に広く普及した。
ギリシャ本土と陸路でつながっているものの、ウラノポリスから船か徒歩によってのみ「入国」が可能である。訪問者の数と滞在期間は限定されており、アトス山に入る前に入国許可証を得ることを要求されるが、許可分配手続において正教徒は優先される。ギリシア国籍以外の者は入山を1日8名を上限としており、入国手続きはテッサロニキにある事務所で行うことが可能である。また、1406年以降、女人禁制となっているので、女性は入国できない。アトス山の居住は、18歳を過ぎた男性の正教徒のみが許可される。そのほか、修道士ではないが宗教的な護衛者がおり、政庁カリエスで修道士でない人々を補助する。現在の人口は約2,250である。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
アトス山はギリシャ人が「聖なる山」と呼ぶ聖域なんだそうです。
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